おまけのページ 思い出の屋島登山鉄道

NHK大河ドラマの光と影
 「義経」放映前に運転を休止した
 今はなき屋島登山鉄道の未公開写真



屋島登山口駅とスタンプ


【屋島発=2004年10月16日】代々木ゼミナール講師高木浩明先生著の『義経新詳解事典』(学習研究社)製作でのエピソードです。ちょうど本書が刊行されて間もない10月8日、先生から電話があり「屋島ケーブルが廃止になるみたいだよ」と聞いてびっくりしました。史跡ガイドで屋島への交通に「屋島ケーブル山上駅から徒歩30分」としていたからです。翌日の四国新聞では「ケーブルを運行する屋島登山鉄道が12日、高松地裁に自己破産を申請。10月15日限りで運転を休止する。負債総額は約9億円で、同社は破産手続きを進めながら譲渡先を探し、ケーブルカー存続への道を模索」との記事が掲載されていました。


出発を待つ義経号と途中ですれ違う弁慶号

屋島登山鉄道は昭和4年(1929)に営業運転を開始。戦時中は施設が撤去されしばらく休止していましたが、昭和25年に運転を再開。屋島が県内有数の観光地に成長するのに合わせて利用客を増やし、ピークの昭和35年度には約200万人が利用したそうです。しかし、マイカーブームに合わせ翌年にドライブウェイが開通すると、利用客も減少の一途をたどり、さらに屋島の観光地衰退もあって、その後も減少に歯止めがかからなかったようです。平成15年度の利用客はピーク時の40分の1となる約5万5000人。約600万の赤字を計上し、借入金の返済も困難となっていました。
 しかし、平成17年度NHK大河ドラマ「義経」の放映は屋島ケーブルにとっても朗報のはず。最盛期とまではいかなくてもある程度の利用は見込めたのではないでしょうか? わたくし村野鎮守が屋島を取材したのは、休止される約半年前の4月30日。そのときの様子を貴重な未公開写真とともに少しだけ紹介します。


左から時刻表、車内、屋島山上駅、駅前売店

改札口には時刻表があり、平日でも8〜18時の20分間隔で運転されていました。繁忙期は7〜10分間隔で運転されていた様子がうかがえます。「義経号」「弁慶号」とネーミングされた古典的な懐かしい車両が交互に運転され、途中の信号場ですれ違います。しかし、車内はガラガラで行きは2人、帰りは私ひとりという状況でした。赤字にもかかわらず20分毎の運転に敬意を表して、なんとか先生の著書を読んでひとりでも多くの観光客が乗ってくれればという思いがありました。
 登山口駅から山上駅まで850mを約5分で登ります。途中アナウンスが流れ、高松市街のパノラマが広がります。短いトンネルをくぐって到着する屋島山上駅はレトロ感あふれるモダンな駅舎です。しかし、ここから屋島寺をはじめとする観光ポイントは約2キロ離れています。徒歩で30分かかるのはそのためで、このアクセスがネックになってしまい、観光バスに乗客を奪われた感は否めません。駅前にはレンタサイクルがあり、整備された遊歩道は平坦部分なので自転車を利用すると、機動力を発揮でき、かなり楽になります。でもケーブルが休止になった現在、あの売店は営業しているのでしょうか? 店の人もケーブルで通勤している感じでしたが……。


左から遊歩道、談古嶺から望む源平古戦場の眺め、いいだこおでん、かわらけ、廃墟ホテル

遊歩道から緑に吸いこまれるようにして屋島寺へ向かいます。途中、談古嶺や獅子の霊巌と呼ばれる展望台からは源平の古戦場が一望でき、名物のいいだこおでんも味わえます。また、ここから土器を海に向かって飛ばす「かわらけなげ」は、源氏が陣笠を投げて勝どきをあげたことに由来し、厄災難除けになると伝えられています。しかし、そのすばらしい眺望とは裏腹に屋島も観光の衰退が目立ち、山上の至るところにホテル・旅館の廃墟がありました。


左から屋島寺、宝物館、血の池、屋島水族館入口のジョーズ、門前町にあるやしま狸の店

屋島山上には、天平勝宝6年(754)に唐僧鑑真が創建した屋島寺をはじめ、源平合戦の遺品を展示する宝物館、源氏が血刀を洗った血の池、山上にある珍しい屋島水族館、ホテルやお土産物屋が並ぶ門前町など見どころがいっぱいあります。すでに義経にまつわる平泉、京都、下関をはじめ、各地で観光ブームになっていますが、屋島もぜひ大河ドラマ人気に便乗してほしいものです。


左から義経の合戦、義経武勇伝、源平餅

最後は義経にまつわるおみやげで締めくくりたいと思います。B級スポットと化した屋島もPR次第では観光客の増加が見込まれると思うのですが……。突然のケーブル休止に四国88箇所をめぐるお遍路さんの足がなくなり困っているという話も聞きました。大河ドラマ放映による観光フィーバーにもかかわらず、ケーブルは観光客やお遍路さんを運ぶことなく沈黙を守っています。
※その後の情報で屋島登山鉄道は引き取り手がなく、2005年7月1日に正式に廃止届を提出。2006年7月1日をもって廃止されることになりました(ノД`)。

※ご拝読ありがとうございました。本編へお戻りください。
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相引川から望む屋島遠景。頂上が平坦になっており、屋根のように見えることからこの名がついた。手前の線路は高松琴平電鉄

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