江〜三代将軍家光の母・崇源院〜みにがいど〜

go 『江〜三代将軍家光の母・崇源院』
(メディアボーイ)

B5判 128P 1430円 ISBN978-4-86388-066-5

戦国一の美女と謳われながらも悲運の人生をたどったお市。そして夫・浅井長政の間に生まれた茶々(淀殿)・初・江の三姉妹は戦国乱世に風雲を呼び、そして泰平の世へと導いた。なかでも末っ子の江は佐治一成、豊臣秀勝、徳川秀忠と三人に嫁ぎ、最終的には将軍御台所となり、三代将軍家光の生母となる。さらに五女の和子は後水尾天皇の中宮となり、明正天皇の生母となった。そんな江の生涯を三部構成の史跡紀行で紹介。桐野作人先生による信長・秀吉・家康の三英傑と三姉妹の運命の糸は必見。さらに戦国姫様図鑑、戦国姫かわら版、講談師・神田陽司先生のコラム、スタンプコレクションなど情報満載!

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ここでは本書のごく一部を紹介!詳しくは買って読んでのお楽しみに!!

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第一部 信長の章 天下統一の礎
江のふるさと――時代に翻弄されたお市と三姉妹
滋賀県長浜市スタンプ

2010年の広域合併で湖北地方一帯が市域となった長浜。江の故郷・小谷城のある旧湖北町や、お市ゆかりの温泉のある須賀谷温泉のある旧浅井町など各所に見どころが点在。もちろん旧長浜市街の長浜城や黒壁スクエアなども見逃せない。

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復元大手門と小谷城
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須賀谷温泉「お市の湯」
天下統一の基盤となった信長の居城
愛知県清須市/小牧市スタンプ

信長の居城となった清洲と小牧山はお市にもゆかりの深い地。現在は両城とも復興模擬天守が建ち往時の眺めが楽しめる。また小牧市境近くの名鉄間内駅には江の父・浅井長政像があるぞ! その理由は本書を読め!

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清洲城模擬天守
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小牧市歴史館
信長が名づけた天下布武の観光都市
岐阜県岐阜市スタンプ

岐阜は信長が春秋時代の故事にちなんで名づけたもの。標高339mの金華山山頂の岐阜城と麓の岐阜公園を中心に信長の菩提寺・崇福寺、岐阜大仏、常在寺、長良川の鵜飼など観光名所が充実。もちろん鮎など郷土料理もお忘れなく!

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岐阜城
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崇福寺
伯父信包のもとで過ごした幼少時
三重県津市スタンプ

浅井氏滅亡後、お市と娘の三姉妹は伯父信包のもとで庇護を受けた。信包は最初、伊勢上野城を居城としていたが、のちに安濃津(津)城に改修を加えて移った。母子が何不自由なく暮らせた幸せのひと時であった。

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伊勢上野城跡
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安濃津(津)城跡
天下統一を目前に亡くなった信長の夢の跡
滋賀県近江八幡市安土町スタンプ

安土は信長が最後に居城を構えた城。本能寺の変後に五重七階の豪壮な天主は焼失したが、安土城考古博物館はじめ安土城天主信長の館、駅前の安土城郭資料館などで、その復元姿を見ることができる。

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安土城遠景
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安土城考古博物館
第二部 秀吉の章 三姉妹の嫁ぎ先
勝家・お市を偲ぶ北ノ庄の城下町
福井県福井市スタンプ

お市が10年ぶりに再婚して向かったのが、柴田勝家の北ノ庄城であった。しかし、勝家は皮肉にも豪雪に閉ざされて身動きがとれず、賤ヶ岳の戦いで敗北を喫してしまう。勝家はお市の方と運命を共にして自害する。

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三姉妹神社
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勝家&お市木像
江、12歳で最初の政略結婚
愛知県常滑市/知多市スタンプ

江が最初に嫁いだのは尾張大野城主の佐治一成であった。しかし、小牧・長久手の戦いで一成が家康に味方したため、1年足らずで離縁されてしまう。大野城跡には模擬展望台のほか、一成の石像がある佐治神社が鎮座。近くの大草城跡にも寄りたい。

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大野城模擬展望台
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大草城模擬展望台
歴史を動かす政治の舞台
京都府京都市スタンプ

秀吉が関白として政務をとった聚楽第は屏風絵でしか見ることができないが、たびたび政治の舞台となった二条城や、秀吉終焉の地・伏見城跡地には復興模擬天守(内部非公開)があり、養源院のある東山エリアも必見だ。

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二条城
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伏見桃山城
第三部 家康の章 姉との別れで泰平の世へ
歴史の舞台となった近江国内の城をめぐる
滋賀県広域スタンプ

滋賀県内には長浜・安土以外にも彦根城、佐和山城跡、近江八幡城跡、膳所城跡、大津城跡、坂本城跡、大溝城跡など歴史上での舞台でも重要な城跡がたくさんある。JRと京阪を利用して琵琶湖をぐるっと一周してみよう。

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彦根城
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坂本城跡の光秀像
大坂城とともに滅んだ豊臣家
大阪市中央区/北区スタンプ

大坂の陣の舞台となった大坂城。現在の天守は昭和6年(1931)完成の鉄骨造だが、広い大阪城公園内には石垣や堀などをはじめ当時の遺構がたくさんみられる。JR大阪駅から近い太融寺では伝・淀殿の墓もある。

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大坂城
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伝・淀殿の墓
初(常高院)ゆかりの地
福井県小浜市スタンプ

小浜は初(常高院)の夫・京極高次が関ヶ原の戦い後に加増された地。高次が築城を始めた小浜城は移封後に酒井氏によって完成したものだが、現在は石垣を残すのみ。常高院が葬られた常高寺は境内にJR小浜線が走るのでびっくり!

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小浜城跡
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常光寺
江の終焉地と大奥の成立
江戸スタンプ

江が終焉を迎えた地は江戸城西の丸。西の丸は立ち入りできないが、天守台や二の丸のあった皇居東御苑は見学可能。江は亡くなったあと増上寺に葬られた。夫・秀忠との合祇墓がある徳川家墓所は、4月上旬の御忌大会はじめ特別な日のみ公開される。

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江戸城(皇居)
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増上寺
第四部 人物の章 政略結婚の系譜

織田家の閨閥

信長の兄弟から正室・側室、娘、妹などを徹底紹介。云わずと知れた戦国一の美女・お市の方は、政略結婚で北近江の大名・浅井長政に嫁ぎ、茶々(淀殿)・初・江の三姉妹を産んだ。そして江最初の嫁ぎ先はもう一人の妹・お犬の方が産んだ佐治一成だったのである。

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織田信長
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伝・淀殿

豊臣家の閨閥

秀吉の兄弟姉妹および正室・側室、養女などを徹底解説。秀吉は晩年まで子どもに恵まれなかったため、姉ともの子である秀次、秀勝、秀保などが貴重な養子となった。江の二度目の嫁ぎ先が豊臣秀勝である。初は秀吉の側室・松の丸殿の弟・京極高次に嫁いだ。

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豊臣秀吉
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初(常高院)

徳川家の閨閥

家康の異父弟から正室・側室、娘・養女などを紹介。家康は娘や養女を全国の諸大名家に嫁がせて天下取りで最大限に活用した。江の三度目の嫁ぎ先が家康三男の秀忠だが、江は三代将軍家光や明正天皇生母となる和子などを産んで、徳川政権の確立に貢献したのである。

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徳川家康
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江(崇源院)
特集・合戦ダイジェスト 屏風絵にみる戦いの様子
1570年
姉川の戦いスタンプ

織田信長・徳川家康連合軍と浅井長政・朝倉義景連合軍との戦い。なかでも浅井軍の猛将・磯野員昌の11段崩しや、朝倉軍の猛将・真柄十郎左衛門が5尺3寸(175cm)の太郎太刀を風車のように振り回して奮戦したのが有名。戦いは信長・家康の勝利に終わったが、小谷城に籠城した浅井軍には止めをさすことができなかった。

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姉川合戦図屏風(福井県立歴史博物館蔵)
1582年
本能寺の変スタンプ

近習100名余とともに本能寺に宿泊していた信長に、家臣の明智光秀が突如反旗を翻した。光秀の軍は1万3000余。信長は「是非に及ばす」と言うと、自ら槍をふるってしばらく応戦したが、衆寡敵せず。槍傷を受けて奥の部屋に引き下がり自害。享年49。天下統一を目前にした漢のあまりにもあっけない幕切れであった。

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明治期に描かれた錦絵『本能寺焼討之図』と本能寺跡
1583年
賤ヶ岳の戦いスタンプ

雪解けを待たずして出陣した柴田勝家は余呉湖をはさんで秀吉と対峙した。秀吉が岐阜へ向かった隙をついて佐久間盛政は秀吉の砦を急襲して陥落させたが、秀吉の電光石火の引き返しになす術もなく、前田利家の裏切りもあって勝家は大敗した。このとき秀吉麾下の福島正則、加藤清正らが「賤ヶ岳の七本槍」として活躍する。

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賤ヶ岳合戦図屏風(長浜城歴史博物館蔵)と賤ヶ岳の武者像
1584年
小牧・長久手の戦いスタンプ

徳川家康・織田信雄連合軍は小牧を境に秀吉と対峙したが、秀吉側は池田恒興の進言で別働隊を率いて、家康の本拠・三河を急襲することにした。しかし、その動きが家康が察知することになり、長久手で追いつかれて秀吉軍は大敗。池田恒興・元助父子、森長可は戦死した。

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小牧長久手合戦図屏風(犬山城白帝文庫蔵)と長久手古戦場
1592〜1598年
朝鮮出兵スタンプ

秀吉は明を征服するため、肥前名護屋に軍事拠点を築いて出兵。通過点となる朝鮮で戦闘が行われた。これが文禄の役と慶長の役の二度にわたる朝鮮出兵である。緒戦では勝ち進んだ日本軍であったが、やがて明の援軍や義兵が蜂起すると次第に苦戦に陥り、秀吉の死によって戦いは終わった。

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肥前名護屋城図屏風(佐賀県立名護屋城博物館蔵)と耳塚
1600年
関ヶ原の戦いスタンプ

秀吉に代わって政権を掌握しようとする徳川家康(東軍)と豊臣政権の存続をはかる石田三成(西軍)との間で行われた戦いが「天下分け目」といわれる関ヶ原である。両軍合わせて16万の大軍が激突したが、西軍は小早川秀秋の裏切りもあって大敗。戦いはわずか1日で決着がついた。

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関ヶ原合戦図屏風(関ケ原町歴史民俗資料館蔵)と古戦場開戦地
1614〜15年
大坂の陣スタンプ

方広寺の鐘銘事件をきっかけについに徳川家康と淀殿・秀頼母子の豊臣方の最終決戦が行われた。冬の陣では堅固な大坂城に手を焼いて休戦協定が結ばれたが、その後、大坂城の堀を埋め立てて裸城にしたうえで家康は戦いをしかけた。淀殿・秀頼は自害し、大坂城も灰燼に帰して豊臣家は滅んだ。

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大坂冬の陣図屏風と夏の陣図屏風(大阪城天守閣蔵)と大坂城
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イラストレーター・喜多氏の姫様原色図鑑も必見!
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