新選組を旅する 〜みにがいど〜
第一部 同志結集の章 | 1834〜1863年 近藤生誕〜30歳/土方生誕〜29歳 | |
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新選組局長生誕の地 東京都調布市/三鷹市 新選組局長の近藤勇は、武州上石原村(現在の調布市)で生まれた。調布では大河ドラマの放映にあわせて「ちょうふ新選組フェスタ」を開催。ゆかりの施設やイベントがもりだくさん! |
![]() 近藤勇胸像(龍源寺) |
![]() 鬼太郎茶屋 |
新選組副長土方歳三の故郷
東京都日野市 副長・土方歳三の生誕地。土方にまつわる史跡や施設が点在し、新選組グルメやグッズも目白押し。2004年度は日野宿本陣や、井上源三郎資料館など次々とオープン! |
![]() 石田寺 |
![]() 土方歳三資料館 |
「天然理心流」を発展させた近藤家 東京都八王子市 天然理心流の発祥地がココ!陣馬街道を西へ向かえば、桂福寺や中島登の出生地などがある。「夕やけ小やけふれあいの里」も近く、喧騒な都会から解放してくれる。 |
![]() 桂福寺 |
![]() 八王子ラーメン |
試衛館道場に集まる同志と浪士組結成 東京都新宿区/文京区 近藤勇が道場主をつとめていた試衛館は、のちの新選組主力メンバーが集まったところ。現在地に面影を残すものはないが、路地裏に足を運んでみれば、ゆかりの寺社などに往時をしのばせる。 |
![]() 伝通院 |
![]() 正一位稲荷神社 |
芹沢鴨と徳川慶喜の故郷 茨城県水戸市 新選組結成当初、筆頭局長をつとめた、芹沢鴨ゆかりの地。水戸は尊皇攘夷発信の地であった。粗暴な振る舞いの多い芹沢であったが、当地を訪れると意外な人物像もみえてくる。 |
![]() 偕楽園 |
![]() あんこう料理 |
第二部 壬生狼の章 | 1863〜1864年 近藤30〜31歳/土方29〜30歳 | |
1863年・京都編1 京にさまよう壬生浪士組 治安維持のため新選組が活躍をした京都は、史跡が多く点在するため、編年体で紹介。新選組が最初に屯所をかまえた、壬生寺や、八木邸などファンならもうおなじみの場所。島原遊廓の跡地にも当時の面影が残る。 |
![]() 壬生寺 |
![]() 新選組記念館 |
1864年・京都編2 全国に名を轟かせた池田屋騒動 新選組で最も有名なのが池田屋騒動。現在の池田屋跡地には石碑が建つのみだが、京都市内はこういった石碑の宝庫でもある。「犬も歩けば…」ではないが「京都を歩けば石碑にあたる」といっても過言ではない。 |
![]() 池田屋騒動の地 |
![]() 京都御所蛤御門 |
番外・倒幕の原動力となった長州藩 山口県萩市/下関市 本書では新選組の宿敵であった長州も紹介。萩は木戸孝允、山県有朋、伊藤博文など、幕末維新に功績のあった人物ゆかりの地だ。『宮本武蔵』の巌流島でおなじみの下関も、長州藩が外国船を砲撃したところで有名。 |
![]() 萩本陣妙徳温泉 |
![]() 下関砲台を占拠した四ヵ国連合軍 |
番外・国政を左右した薩摩隼人の武 鹿児島県鹿児島市 雄藩としてイギリスとも戦い、幕末に大きな影響をおよぼした薩摩藩。西郷隆盛、大久保利通など、下級武士が時代を動かした。坂本龍馬新婚旅行の地でも知られる。 |
![]() 鶴丸(鹿児島)城跡 |
![]() 鹿児島ラーメン |
第三部 内部粛清の章 | 1865〜1867年 近藤32〜34歳/土方31〜33歳 | |
1865〜1866年・京都編3 西本願寺移転と粛清の嵐 新選組も大所帯となったため、広い敷地を求めて西本願寺へ移転。しかし、その影では副長山南敬助をはじめ有力幹部たちも粛清の憂き目にあった。JR京都駅に近く、歩いて散策できる。 |
![]() 西本願寺 |
![]() 二条城二の丸御殿 |
長州領潜伏を目論んだ近藤勇の出張 広島県広島市 第一次長州征伐で恭順した長州藩だが、高杉晋作の活躍で再び倒幕に転向。幕府も要請に応じない長州藩に、訊問使を広島に派遣し、近藤らも同行。新選組は宮島観光を楽しめたのだろうか? |
![]() 広島(鯉)城 |
![]() 原爆ドーム |
1867年・京都編4 新選組と御陵衛士の確執 参謀の伊東甲子太郎が「御陵衛士」の名目で新選組から分離すると、 両者の対立がエスカレートし、伊東は暗殺、近藤も狙撃され負傷する。 大政奉還が行われ幕府が終焉した年でもあった。 |
![]() 御陵衛士屯所跡 |
![]() 坂本龍馬と中岡慎太郎像 |
番外・新時代を見据えた龍馬の故郷 高知県高知市 幕末で新選組と並んで人気なのが坂本龍馬。つねに新しい時代を据え、薩長同盟や大政奉還にも活躍した龍馬だが、維新を前に暗殺されてしまう。高知は龍馬の史跡や関係施設がいっぱい! |
![]() あいすくりんと高知城 |
![]() 桂浜水族館 |
第四部 敗北流転の章 | 1868年1月〜4月 近藤35歳終焉/土方34歳 | |
近代兵器の前に敗れた鳥羽・伏見の戦い 京都市伏見区 戊辰戦争の発火点となったのが、鳥羽・伏見の戦いである。剣や刀で無敵の新選組だったが、近代的な銃火器の前に手も足も出なかった。伏見地区にはそんな悲劇の爪跡が…。 |
![]() 伏見の戦跡(御香宮神社) |
![]() 龍馬ずし |
甲陽鎮撫隊の敗走 山梨県勝沼町 江戸へ敗走した新選組隊士は、将軍警護の任を解かれ、甲州へ向かう。しかし、これはていのよい追い払いだった。そんなことも知らず近藤勇は大名を夢見て、甲州に向かうが、すでに勝運は尽きていた。 |
![]() 柏尾古戦場の近藤勇像 |
![]() 町営ぶどう丘レストランの フランス料理 |
新政府軍に投降した「大久保大和」 千葉県流山市 運悪く隊士の演習中に新政府軍に包囲され、進展きわまった近藤勇は「大久保大和」の名で、新政府軍に投降し、ついに命運は尽きた。しかし、町を戦火から救った英雄として、土地の人々は現在でも近藤を称えている。 |
![]() 近藤勇陣屋跡 |
![]() 『柳家』の近藤勇膳 |
刑場の露と消えた近藤勇終焉の地 東京都板橋区/北区 近藤勇が35歳の生涯を閉じたのが、JR板橋駅前の刑場跡。無念の最期を遂げた近藤勇をしのび、現在も新選組ファンがあとをたたない。当時の中山道界隈も散策の価値あり! |
![]() 近藤勇墓所 |
![]() 『平家』のかつラーメン |
第五部 東北戦争の章 | 1868閏4月〜9月 土方34歳 | |
土方の合流と旧幕府軍一瞬の反撃 栃木県宇都宮市 敗戦続きだった旧幕府軍が、一矢報いたのが宇都宮城の奪還。土方歳三も旧幕府軍に合流し、長い戦いの中に身を投じてゆく。土方は足を負傷するアクシデントに…。 |
![]() 戊辰の役戦士墓 |
![]() 名物ぎょうざ |
彰義隊の寛永寺籠城 東京都台東区 彰義隊が立て籠もったのが上野の山。現在の上野公園一帯の丘陵地である。しかし、戦い自体はわずか1日で終結。近藤と袂を分かった原田左之助も、この戦いで戦死したといわれるが…。 |
![]() 西郷隆盛像 |
![]() 彰義隊墓所 |
白河城の攻防戦と二本松少年隊の悲劇 福島県白河市/二本松市 奥羽列藩同盟と新政府軍が、一進一退の攻防を繰り広げたのが白河。負傷した土方に代わって指揮をとったのは、元三番隊隊長の斎藤一(山口次郎)だった。その一方で二本松少年隊の悲劇も生まれた。 |
![]() 白河小峰城 |
![]() 二本松少年隊士の墓 |
天才剣士・沖田総司の末路 東京都港区/台東区 労咳を患い、知人に匿われながら、27歳の若さで亡くなった沖田総司。そんな悲劇の天才剣士終焉の地は、諸説あるが今戸神社には碑が立っている。専称寺には総司の墓があるが立入不可。 |
![]() 今戸神社 |
![]() 六本木ヒルズ |
会津への要衝・母成峠の敗戦 福島県猪苗代町 膨大な物量作戦の前に、旧幕府軍は次第に追い詰められてゆく。会津への要衝・母成峠の戦いも、作戦の稚拙さから敗退し、会津若松城はついに包囲されることに…。 |
![]() 母成峠古戦場 |
![]() 磐梯山と猪苗代湖 |
白虎隊の悲劇と奥羽列藩同盟崩壊 福島県会津若松市 薩長の恨みを一身に背負い、討伐対象となってしまった会津藩。戦火は町中を巻き込んで、白虎隊、娘子隊などの悲劇も生む。会津戦争も約1ヵ月の籠城の末、終結した。 |
![]() 戊辰戦争時の若松城(古写真) |
![]() 『田季野』の輪箱飯 |
第六部 新選組終焉の章 | 1868年9月〜1869年5月 土方34〜35歳終焉 | |
榎本武揚、開陽丸で蝦夷へ 宮城県仙台市 東北一の仙台藩も恭順し、土方の新選組も本州に身の置き場なく、榎本武揚の軍艦で蝦夷へ向かうことに。ゆかりの史跡は少ないが、足跡をたどるうえで見逃せない町だ! |
![]() 仙台(青葉)城 |
![]() 名物牛たん |
共和国樹立へ向けての蝦夷統一戦 北海道松前町/江差町 蝦夷地(北海道)に上陸した旧幕府軍は、厳寒の中で行軍を続け、新政府軍を追い払って蝦夷を支配し蝦夷共和国の樹立へとこぎつけた。しかし、開陽丸が江差沖で座礁する不運も…。 |
![]() 松前城 |
![]() 復元された開陽丸 |
宮古湾海戦! 土方の戦艦だ捕計画は失敗に 岩手県宮古市 最強の軍艦「開陽丸」を失った旧幕府軍は、新政府軍に渡った「甲鉄艦」のだ捕を計画。土方も新選組を率いて海戦に参戦する。しかし、天候の不運と近代兵器の前に破れ、もはや新政府軍の上陸を防ぐ手立てはなかった。 |
![]() 宮古湾海戦碑 |
![]() 浄土ヶ浜クルーズ |
土方歳三、蝦夷に散る! 北海道函館市 春の訪れとともに蝦夷地に迫る新政府軍!土方は敵の猛追を退けて連戦連勝!しかし、相次ぐ敗報に退却を余儀なくされ、土方は箱館市内で戦死。弁天台岬にいた 残りの隊士たちも降伏し、戊辰戦争は終わる。 |
![]() 五稜郭公園 |
![]() 函館山からみる市街の夜景 |
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