92年のJRA年度代表馬ミホノブルボンに由来しています。ミホノブルボンは栗東の故・戸山為夫調教師の管理馬で、血統的には短距離系(スプリンター)で距離がもたないといわれながらも、努力を重ねた坂路調教の結果、筋肉という鋼の鎧を身にまとい、ついにサラブレッド界の頂点であるダービーを制しました。そして、史上5頭目の3冠馬(4歳〈現3歳〉馬のクラシックレース、皐月賞・日本ダービー・菊花賞制覇)をめざし、無敗のまま最後のレース菊花賞に挑んだのですが、惜しくも2着に敗れました。
その後は故障のため、引退しましたが「サラブレッドは血で走るわけではない。鍛えて走らせる」という、戸山先生の理論は実証されました。「人も馬も磨けばみな光る」という信念は後世の人に受け継がれていったのです。ちなみにミホノブルボンという馬名は、「太陽王」といわれたフランスのブルボン王朝のルイ14世から名付けられたと聞きます。
またミホノブルボンは歴史にも残る「逃げ馬」(常にレースの先頭に立って先導する馬のこと)といわれますが、私が思うにブルボンのあの優しい瞳に包まれた悲壮感漂う「逃げ」は、馬の性格からでもなく、スピードの絶対値でもなく、無気力になった人々を引っ張るために先頭に立ったという「逃がし(先導)馬」のような気がしてなりません(松井和久)。
Photo by Masakazu Takahashi Photo by Yoshida Farm Photo by Masanori Miyahara |
血統図
戦績
年月日 | レース | 頭 | 枠 | 人気 | 着 | 騎手 | 斤量 | 距離 | 馬場 | タイム | 着差 | 1着(2着)馬 | |
91. 9. 7 | 中京 | 新馬 | 13 | 3 | 1 | 1 | 53 | 1000 | 良 | 58.1R | |||
11.23 | 東京 | 500万下 | 11 | 9 | 1 | 1 | 〃 | 54 | 1600 | 良 | 1.35.1 | 6身 | クリトライ |
12. 8 | 中山 | 朝日杯3歳S・GT | 8 | 4 | 1 | 1 | 〃 | 54 | 1600 | 良 | 1.34.5 | ハナ | ヤマニンミラクル |
92. 3.29 | 〃 | スプリングS・GU | 14 | 1 | 2 | 1 | 〃 | 56 | 1800 | 重 | 1.50.1 | 7身 | マーメイドタバン |
4.19 | 〃 | 皐月賞・GT | 17 | 4 | 1 | 1 | 〃 | 57 | 2000 | 良 | 2.01.4 | 2 1/2身 | ナリタタイセイ |
5.31 | 東京 | 日本ダービーGT | 18 | 15 | 1 | 1 | 〃 | 57 | 2400 | 2.27.8 | 4身 | ライスシャワー | |
10.18 | 京都 | 10 | 10 | 1 | 1 | 〃 | 57 | 2200 | 良 | 2.12.0R | 1 1/2身 | ライスシャワー | |
11. 8 | 〃 | 菊花賞・GT | 18 | 7 | 1 | 2 | 〃 | 57 | 3000 | 良 | 3.05.2 | 0.2 | ライスシャワー |
あの『巨人の星』に喩えられるスポ魂ドラマをノンフィクションの人生で描いてしまった偉大なホースマンです。まさにミホノブルボンが飛雄馬なら、戸山先生は星一徹といった関係でした。大リーグ養成ギプスはまさに坂路でしたね。ブルボンが菊花賞のあと放牧先で骨折後、食道癌が再発。1993年5月29日に亡くなりました。享年61。騎手成績は通算1254戦122勝。調教師成績は通算6170戦695勝(重賞28勝)。
戸山先生に男子がいなかったこともあって、我が子のように可愛がられた小島騎手は、最初は障害競走で名を馳せ、テンポイントの全弟キングスポイント(小川佐助厩舎)とのコンビで、82年の中山大障害(春・秋)を制したことでも有名です。しかし、平地での初GIはミホノブルボンとの朝日杯3歳Sで、騎手生活20年目でのことでした。戸山先生逝去後、乗り鞍もなくなって騎手を止めようと思っていた矢先にかつての兄弟子・鶴留明雄師に声をかけられ、94年にはチョウカイキャロルでオークスを、95年にはタヤスツヨシで二度目の日本ダービーを制し、鶴留師の期待に応えて恩を返してみせました。2001年に調教師試験に合格し、騎手を引退。騎手成績は通算4722戦495勝(重賞27勝)でした。
安永さんは戸山厩舎でミホノブルボンの担当厩務員兼調教助手でした。戸山先生の指令に従い、坂路調教の毎日でしたが、ブルボンに異変を感じると逐一報告して坂路の本数を減らしたり、休ませたりしたこともありました。安永さんでなかったらブルボンは他の馬のように故障していたかもしれません。まさに「人馬一体」とはこのことを指すのでしょう。戸山先生は著書『鍛えて最強馬をつくる』のなかで「ミホノブルボンは安永がつくった」と述べています。雨の皐月賞で花輪(レイ)をブルボンにかけようとしたとき、頭頂部にレイが来ると、ブルボンは耳を引っ込めて倒し、レイを通り易いようにしたシーンは、「あなたが思う競馬の最強コンビ」のベストアンサーにも選ばれている名シーン。必見です。
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