Bourbon Creationの由来It's newIt's new

92年のJRA年度代表馬ミホノブルボンに由来しています。ミホノブルボンは栗東の故・戸山為夫調教師の管理馬で、血統的には短距離系(スプリンター)で距離がもたないといわれながらも、努力を重ねた坂路調教の結果、筋肉という鋼の鎧を身にまとい、ついにサラブレッド界の頂点であるダービーを制しました。そして、史上5頭目の3冠馬(4歳〈現3歳〉馬のクラシックレース、皐月賞・日本ダービー・菊花賞制覇)をめざし、無敗のまま最後のレース菊花賞に挑んだのですが、惜しくも2着に敗れました。

その後は故障のため、引退しましたが「サラブレッドは血で走るわけではない。鍛えて走らせる」という、戸山先生の理論は実証されました。「人も馬も磨けばみな光る」という信念は後世の人に受け継がれていったのです。ちなみにミホノブルボンという馬名は、「太陽王」といわれたフランスのブルボン王朝のルイ14世から名付けられたと聞きます。

Kazuhisa Matsuiまたミホノブルボンは歴史にも残る「逃げ馬」(常にレースの先頭に立って先導する馬のこと)といわれますが、私が思うにブルボンのあの優しい瞳に包まれた悲壮感漂う「逃げ」は、馬の性格からでもなく、スピードの絶対値でもなく、無気力になった人々を引っ張るために先頭に立ったという「逃がし(先導)馬」のような気がしてなりません(松井和久)

逃げなかった逃げ馬−ミホノブルボン


Photo by Masakazu Takahashi

Photo by Yoshida Farm

Photo by Masanori Miyahara

The escape horse who never escaped from any difficulties -
Mihono Bourbon

血統図

母カツミエコー 1983年5月18日〜2001年4月29日 青鹿毛
父マグニテュード 1975年3月16日〜2004年3月4日 鹿毛
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ミホノブルボン 1989年4月25日生 栗毛
全弟ローレルファイター 1999年5月4日生 鹿毛

戦績

ミホノブルボン競走成績
年月日場名レース人気騎手斤量距離馬場タイム着差1着(2着)馬
91. 9. 7中京新馬13小島貞53100058.1R1 1/4身ホウエイセイコー
11.23東京500万下11 〃 5416001.35.16身クリトライ
12. 8中山朝日杯3歳S・GT 〃 5416001.34.5ハナヤマニンミラクル
92. 3.29スプリングS・GU14 〃 5618001.50.17身マーメイドタバン
4.19皐月賞・GT17 〃 5720002.01.42 1/2身ナリタタイセイ
5.31東京日本ダービーGT1815 〃 572400稍重2.27.84身ライスシャワー
10.18京都京都新聞杯・GU1010 〃 5722002.12.0R1 1/2身ライスシャワー
11. 8菊花賞・GT18 〃 5730003.05.20.2ライスシャワー

通算成績8戦7勝、2着1回
92年JRA年度代表馬、最優秀4歳馬
1994年より日高軽種馬農協門別種馬場で種牡馬入り、2003年より生まれ故郷のファニーフレンズファームに移動。2012年11月1日に種牡馬引退し、スマイルファームで余生を送る。2017年2月22日老衰のため28歳で死去。
代表産駒/ナムラライジン(95年生・牡/97年福島3歳S)、トップコーリング(99年生・牡/04年牛若丸JS)、ミヤシロブルボン(95年生・牡/97年南部駒賞、東北3歳サラブレッドチャンピオン)、ミホノコトブキ(98年生・牡/02年八汐賞、04年ブライアンズロマン記念)、メモリーフォーラム(98年生・牡/01年北関東皐月賞、北関東ダービー)、メモリーブロンコ(99年生・牡/02年エメラルドC、北関東皐月賞、スプリンターズC、北関東菊花賞、03年スプリンターズ賞)、ドリームキッズ(99年生・牡/01年野菊賞)
※唯一の後継種牡馬・シュイベモア(98年生・牡/30戦10勝/04年報知オールスターC2着)
※ペアーハンター(98年生・牡)は118連敗でハルウララ様(113連敗)の記録を抜いたけど2005年11月2日、人知れず登録を抹消されました。金沢のPRベタ!
ローレルファイター
ローレルで2口もっていましたが、中央17戦未勝利で高崎に移籍。高崎で未出走のまま引退
調教師・戸山為夫先生

あの『巨人の星』に喩えられるスポ魂ドラマをノンフィクションの人生で描いてしまった偉大なホースマンです。まさにミホノブルボンが飛雄馬なら、戸山先生は星一徹といった関係でした。大リーグ養成ギプスはまさに坂路でしたね。ブルボンが菊花賞のあと放牧先で骨折後、食道癌が再発。1993年5月29日に亡くなりました。享年61。騎手成績は通算1254戦122勝。調教師成績は通算6170戦695勝(重賞28勝)。

主戦騎手・小島貞博

戸山先生に男子がいなかったこともあって、我が子のように可愛がられた小島騎手は、最初は障害競走で名を馳せ、テンポイントの全弟キングスポイント(小川佐助厩舎)とのコンビで、82年の中山大障害(春・秋)を制したことでも有名です。しかし、平地での初GIはミホノブルボンとの朝日杯3歳Sで、騎手生活20年目でのことでした。戸山先生逝去後、乗り鞍もなくなって騎手を止めようと思っていた矢先にかつての兄弟子・鶴留明雄師に声をかけられ、94年にはチョウカイキャロルでオークスを、95年にはタヤスツヨシで二度目の日本ダービーを制し、鶴留師の期待に応えて恩を返してみせました。2001年に調教師試験に合格し、騎手を引退。騎手成績は通算4722戦495勝(重賞27勝)でした。

調教助手・安永司

安永さんは戸山厩舎でミホノブルボンの担当厩務員兼調教助手でした。戸山先生の指令に従い、坂路調教の毎日でしたが、ブルボンに異変を感じると逐一報告して坂路の本数を減らしたり、休ませたりしたこともありました。安永さんでなかったらブルボンは他の馬のように故障していたかもしれません。まさに「人馬一体」とはこのことを指すのでしょう。戸山先生は著書『鍛えて最強馬をつくる』のなかで「ミホノブルボンは安永がつくった」と述べています。雨の皐月賞で花輪(レイ)をブルボンにかけようとしたとき、頭頂部にレイが来ると、ブルボンは耳を引っ込めて倒し、レイを通り易いようにしたシーンは、「あなたが思う競馬の最強コンビ」のベストアンサーにも選ばれている名シーン。必見です。

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